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special talk

JAPAN

03

- 商業施設開発 -

商業の力で
まちづくりを変えていく

商業施設でなければ体験できない空間を、いかにつくり出していくか。

session.1

商業の力でまちづくりを変えていく、
沸々としたエネルギー

三菱地所において商業施設に関わる業務が統合され、取り組みが加速していったのは1990年代後半ですね。

そうですね。私が入社して最初に配属されたのは「大手町ビル」の管理を行う部署で、当時はオフィスも商業もテナントリーシングは同じ部門で担当していました。それが商業施設を専門とする部門が1995年に立ち上がり、私も1999年にそのメンバーに加わることになったのです。

あの頃から、日本のデベロッパー業界でも不動産ソリューションのひとつとして商業施設が重視されるようになってきました。また、三菱地所でも「アクアシティお台場」「御殿場プレミアム・アウトレット」という大規模な商業施設プロジェクトが動き始めていました。全社をあげて進めていた「丸の内再構築」も、商業施設部門を強化する背景のひとつでしたね。

商業施設開発

あの時代の丸の内はオフィスが中心で、ビルの地下にオフィスのサービス施設として飲食店などの商業施設がある程度。それを街の活性化の原動力として現在の「丸の内仲通り」に代表されるような街並みに変えていこうというのが「丸の内再構築」の大きな目標だったわけです。

私は入社してすぐに札幌支店に配属され、3年経験を積んで商業施設部門に異動となって東京に戻ってきたのですが、そのときに改めて見た丸の内があまりに閑散としているので驚いた記憶があります。「丸の内の街並みを商業の力で変えていこう」という沸々としたエネルギーを商業施設部門のメンバーから感じましたね。

確かにあの時代、若手の中には危機感を抱く社員が少なくなかったですね。それからもうひとつ時代的な背景をあげるならば、2000年に施行された大店立地法(大規模小売店舗立地法)の影響も大きいと思います。これを契機に、わが国でも郊外型のSC(ショッピング・センター)が急速に拡大していくわけです。この法律は、丸の内の再構築においても少なからず追風になりました。このような時代の動きとともに、三菱地所の商業施設事業は加速していくわけです。

session.2

商業施設開発

2000年は三菱地所の商業施設にとって
大きな転換期

今では想像もできないくらい何もなかったお台場に「アクアシティお台場」が開業したのが2000年です。いま振り返ると、この2000年は、三菱地所の商業施設にとって大きな転換期でしたね。

確かにその通りですね。「アクアシティお台場」は、共同事業ではありましたが、三菱地所が丸の内から飛び出してオフィスとの複合ではない商業施設として初めて手がけた物件です。この2000年には「御殿場プレミアム・アウトレット」もオープンしています。このプロジェクトには藤原さんも携わりましたね。

ええ、米国のSimon Property Group, Inc.(当時はCHELSEA GCA REALTY,INC.)と合弁会社を設立して進めている三菱地所のアウトレットモールの記念すべき第1号ですね。この会社は、米国でも指折りのアウトレット専業デベロッパー。その先進のノウハウをいち早く日本に導入したわけです。

東名高速のインターチェンジに隣接しているとはいえ、東京から100km近く離れた御殿場に大規模商業施設を生み出すプロジェクトには懐疑的な声も聞かれましたね。

しかし逆に、海外の企業と手を組むことによって大胆なアイデアを取り込むことができた。一方、飲食店などアメニティの方向性やテナントの選択などではこちらから独自のアイデアをぶつけて議論を重ねました。

その融合が功を奏したのでしょうね。当時、米国から複数のアウトレット専業デベロッパーが日本に進出しましたが、単独で事業を進めた企業はほぼすべて撤退しています。

郊外型立地、ブランドを明確に冠した店舗など、この御殿場で成功を収めた手法は、その後のわが国におけるアウトレットモールの基本形となりましたね。

商業施設開発

session.3

商業施設開発

なぜ、三菱地所は
そこまで踏み込むのか?

2008年にオープンした「SUNAMO(スナモ)」も、三菱地所としてはチャレンジングな商業施設でしたね。

そうですね。「SUNAMO」のある江東区南砂町は東京23区でも有数の人口密集地。そこに生活密着型の商業施設をつくろうと考えたわけです。このプロジェクトについても、「なぜ三菱地所がそこまで踏み込むのか?」という意見もありました。しかし、当時は都心がすでに飽和状態で、郊外へと商業施設が急速に広がり始めていた。将来を見据えて三菱地所もそのノウハウを蓄積しておくべきだと私たちは考えたのです。

その結果、三菱地所ならではの商業施設を生み出すことができた。平面の駐車場を設けず、地上7階建てのあの多層的な構造は、他のデベロッパーではなかなか思いつかない発想です。

テナントのリーシングも、スーパーマーケットや百貨店をグループ会社として持たない分だけ逆に個性的な専門店を組み合わせて独自性を打ち出すことができました。

商業施設開発

この頃、日本ではフォーマット化した商業施設を郊外に出店していくというのがひとつの流れでしたね。けれども、これは個人的な意見でもあったのですが、私はこのようなトレンドもやがて変化していくだろうと考えていました。

そんな想いが、三菱地所の商業施設としては初となる、「MARK IS」(マークイズ)というブランドを冠した旗艦施設へとつながっていくのですね。2013年、「MARK IS 静岡」「MARK IS みなとみらい」が続いてオープンしています。

私たちが「MARK IS」を企画するにあたって想定した立地は都心でもない、郊外でもない、準郊外です。その立地でこそ、これまで積み上げてきたノウハウを最大限に生かすことができると考えたのです。私が開発を担当した「MARK IS みなとみらい」では、あえて施設単体で機能を完結させず、周辺の商業施設との連携を意識して街と一体となった存在を目指しました。

一方、この2013年には「グランフロント大阪」もオープンしていますね。このエリアは「大阪最後の一等地」ともいわれる典型的な都心立地。その商業施設を統括したのが藤原さんでしたね。

session.4

チャレンジャーであり続けること。
その想いを忘れてはならない

三菱地所の商業施設というと、丸の内やみなとみらいなど都心エリアを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、こうして振り返ってみるとじつに多様な施設を手がけていますね。共通する特長として、野本さんならどのようなことをあげますか?

そうですね、あまりフォーマット化されていない――つまり、画一的ではないということはひとつの大きな特長だと思います。三菱地所の場合、もともと大規模ビルの開発がルーツにあるだけに、一つひとつの施設への思い入れやこだわりは並大抵ではないですよね。

確かに。手作りのように細部にまでこだわる品質の高さは、お客様が三菱地所に期待するところであり、企画開発の担当者としての面白さでもあるでしょうね。
また、商業施設の営業部として実感する強みは、テナントの多彩さ。ラグジュアリーから生活密着型、さらにはアウトレットまで、これまでの経験で培ってきた幅広いテナントとのネットワークが三菱地所の商業施設開発に奥行きを与えています。とはいっても、トレンドは絶えず変化するので、テナントの発掘は継続して取り組んでいくべき重要なテーマです。

これからの課題を考えるなら、商業施設も店舗に揃える商品だけでは差別化できない時代となりつつありますね。

それだけにテナントの個性を十分に生かす環境づくり、空間づくりがデベロッパーに求められていると思います。また、EC(エレクトロニック・コマース)の急速な拡大も、商業施設を取り巻く大きな環境の変化ですね。

確かにECの広がりはこれまでにない変化ですが、私は商業施設の存在価値が下がることはないと考えています。『レジャー白書2015』の調査を見ても、余暇の過ごし方では「外食」が2位、「ウインドーショッピング」「複合ショッピングセンター、アウトレット」が5位、6位など、商業施設は変わることなく実生活になくてはならない存在です。

これからは、インターネットにはない、商業施設でなければ体験できない空間を、地域それぞれの特性に合わせていかにつくり出していくか、また、他の生活行動と密接にリンクした存在となることも重要でしょう。ホテルや病院など、異なる機能をもつ施設との複合開発もひとつの鍵を握ると思います。 あるいはオフィスや住宅との融合。となると、三菱地所ならではの総合力がさらに発揮されることになります。

私たちが入社した二十数年前、三菱地所の商業施設がこれほどの広がりを見せるとは誰も想像していなかったはずです。私たちとはまた違う経験や知恵をもった若い世代を巻き込みながら、これからもチャレンジャーであり続けたいですね。

商業施設開発
商業施設開発

野本が好きな街

「上野」

北関東の街で生まれ育った。その北関東エリアにとって東京の玄関口となる上野には若い頃から慣れ親しんだ。混沌としたアメ屋横丁の路地を歩いていると、変化し続ける街のエネルギーを肌で感じるという。

私の好きな街

野本のOFF TIME

多趣味だが、その中からひとつあげるとすると自動車。これまで25台を乗り継いできたそうだ。一番思い出深いのはアルファロメオ156。「家族には不評でしたが、乗っていて最高に楽しい1台」。初めて原付バイクに乗ったときの爽快感が原体験となって現在へと続いている。

藤原が好きな街

「ワイキキ」

長い休暇がとれると、まっ先に思い浮かぶ旅行先がハワイ。夫婦でゴルフコースを回り、ワイキキの浜辺でのんびりと海を眺めて。「ゆるい空気感がありながら、トレンドとともに街が変化し続けて刺激的なところが気に入っています」

私の好きな街

藤原のOFF TIME

父親の影響もあって、幼い頃から野球に熱中し、高校時代は甲子園を目指した。社会人になってからも草野球を続け、三菱地所の伝統ある野球部では監督を務めた経験も。最近は、そんな野球からも少し離れ、休日は愛犬と一緒にのんびりと散歩を楽しんでいる。

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